イギリスに住んでから、ベジタリアンやヴィーガンの人と会う機会が増えました。

そんな中、ベジタリアン文化に触れることで、日本人がベジタリアンについて理解することは、日本社会にとっても様々なメリットがあることなのだなと考えるようになりました。

日本ではベジタリアン文化はヨーロッパに比べて多く広まってはいません。私自身はお肉も好きですし、イギリスの周りの日本人の友達でもベジタリアンは少ないです。

ベジタリアンではない私ですが、私なりにベジタリアンとイギリス社会の関係や、日本社会との関係、個人の生活における影響について考えたことを今回はこちらの記事で書いていきたいと思います。ベジタリアンではない私が人から聞いた話や、生活する中で気づいたことを書いているので、ベジタリアンやヴィーガンの人の目線では間違っていることも書いているかもしれません。その場合は是非コメント欄でご指摘ください。

イギリスは移民国家なので、様々な国の出身者がいて、様々な宗教を持つ人達がいて、さらに個人でもそれぞれ違う考えを持っていて、それは食文化の多様性にも表れています。様々な食事の主義の中でも存在感があるのがベジタリアン・菜食主義です。

日本に住んでいる時は、ベジタリアンというのは聞いたことがあってもなかなか生活の中で意識することはありませんでした。私が知っていたベジタリアンとは、単に肉を食べない人のこと。動物の命などを守るためお肉を食べることは残酷だと過激に批判するような人というようなイメージもありました。しかしイギリスで実際にベジタリアンが周りに沢山いるようになって、その背景や実際の行動を知ってから、そのイメージもいろいろと変化しました。

 

1、ベジタリアンについて

ベジタリアンの種類

ベジタリアンには、色々種類がありますが、最も多いのが、普通のベジタリアンヴィーガンです。

ベジタリアン

ベジタリアン(Vegetarian)は基本的にお肉を食べず、野菜、卵、牛乳などを食べる人。動物の副産物的な卵などは食べます。日本語では菜食主義者です。

ヴィーガン

ヴィーガン(Vegan)はベジタリアンを更に厳しくしたような主義で、日本語では完全菜食主義者と呼ばれています。動物が生産したものをなるべく食べない人のこと。卵や牛乳、蜂蜜などもNGです。これが結構大変で、卵もだめミルクが入っていればチョコレートもだめ。白砂糖やビール、ワインも動物性のものでフィルターされているためヴィーガン用に特別に生産されたもの以外摂らないそうです。食品以外でも布製品の素材など、何が使われているのか、どのように生産されているのかで、可能な限り動物性のものは消費しないようにするのがヴィーガンです。ヴィーガンの目で見ると動物性のものって世の中に沢山あるなと気づきます。ヴィーガンはベジタリアンよりさらに厳しい基準を持っています。

 

生活の中のベジタリアン

イギリスではベジタリアン人口はどんどん増えているので、社会もそれに対応してきています。

レストラン

まずレストランに行くと普通はベジタリアン用のメニューが1-2種類は最低でもあります。ヴィーガンは当事者以外ではヴィーガンメニューの用意というのがかなり難しいので(生産過程に動物が巻き込まれているかなど)そこまで用意しているレストランは大手か、運営者にヴィーガンがいる場合になると思います。でも1種類くらいはある、というところもメニューがおおければあります。またヴィーガン専用のレストランも最近見かけるようになりました。

ヴィーガン専用のレストランは、それを大々的に宣伝していない場合も多いので、入って注文をするまで気づかないということもよくあります。

以前フォートウィリアムのカフェに入って、ココア、ケーキ、スープを注文した後で、カウンターメニューの隅に「当店では動物性のものは一切提供していません」と書かれていることに気づきました。正直言われなければ気づかなかったと思います。そのお店ではトイレの紙までヴィーガン用になっていて「ちょっと高いから大事に使ってね」と書いてありました。

ベジタリアンは”V”、ヴィーガンは”Vg”と表記されます。メニュー名の横に(V)などと書いてある場合はベジタリアン向けのメニューです。大学の食堂などでも今時はまずベジタリアンでも食事ができるようになっています。

スーパー

スーパーでも最近はベジタリアンマーク、ヴィーガンマークがパッケージに書かれているようになりました。

ベジタリアンの友達によると、彼女が小さい頃にはそういうマークはなかったので、自分で原材料名を確認して選んでいて、今では買い物がとても楽になったと言っていました。

またイギリスの大きなスーパーでは特にヴィーガンなどは限定された商品、特別に作られた商品しか食べられない場合もあるので、ヴィーガン専用のコーナーを設けている場合もあります。

あとヨーロッパ人ってクリーム系の食べ物とかかなり好きなので、牛乳の代替品を多く見かけます。豆乳はもちろんですが、アーモンドミルク、ココナッツミルクなどです。味はあまり牛乳と同じだとは思えませんが、ベジタリアン以外にも結構人気があります。

 

食品業界

最近イギリスでは様々な食品会社がベジタリアン向けの製品を出しています。特にヴィーガンなどはその生産過程に動物製品が含まれているものも避けるので、単に原材料名を見ただけでは食べられるかどうか分かりません。しかしちゃんと食品会社がヴィーガンです、と明示しているものなら安心して食べられるので最近ではヴィーガンとして生活することも少しづつ簡単になってきたと思います。

例えば最近だと大手アイスクリームメーカーのMagnumがヴィーガン向けのアイスクリームを発売しました。クリームに当たる部分はひよこ豆から作られているそうです。

ヴィーガン食品は高くなりがちですが、こちらは値段もリーズナブル。東京でも最近はヴィーガンジェラートのお店などがあるようですね。

 

ベジタリアンの定義

しかしこのようなベジタリアンやヴィーガンの定義ですが、そもそも厳密な定義にはあまり意味がありません。

実はベジタリアンでも魚はオッケーの人、牛や豚は食べないけど鶏肉は食べるとか、卵は食べないけど牛乳は飲むとか、色々います。これがベジタリアン=肉を食べない人という日本人が一般的に持っているイメージと違っているのでは、と思います。

社会的ベジタリアン

これは、「ベジタリアンは肉を絶対食べない」と思っている人にとっては衝撃ですが、普段肉は一切食べない人でも

  • 人に招かれた時には食べる
  • 時々は健康のため食べる
  • お祝い事の伝統料理は食べる
  • 旅行中に名物料理などは食べる

という、社会的にはフレキシブルなベジタリアンの人も多いです

あるいはヴィーガンの場合、完璧でいるのはかなり難しく、ヴィーガンでない人との外食をする際はぶっちゃけフレキシブルにならざる得ない、そうでなければヴィーガンの人としか外食できない(ベジタリアンはベジタリアンの友達が多いと思いますが)となってしまうので、例えばヴィーガンなら、外食時はベジタリアンメニューしかなければそれにする、という人も多いでしょう。

もちろん中にはヴィーガンでないなら外食はしない、という厳しい人もいると思いますが、それだとかなりの交友関係を犠牲にすることになりかねません。たいていのベジタリアンは、自分の食事の主義と、人間関係とのバランスを取って生活をしていると思います。

ベジタリアンには免許があるわけではないので、肉を食べたらもうベジタリアンではない、ということではありません。私は日本で育って、そこを少し勘違いしていたのかな、と思うようになりました。ベジタリアンの友人がアメリカ人のフラットメイトが感謝祭でターキーを作っていたので参加して少し食べた、と言っていて「ええ?ベジタリアンなのにお肉食べていいの!?」と思いましたが、ベジタリアンには宗教のようにはっきりとしたコミュニティがあるわけでもないし、誰かの決めたガイドラインがあるわけでもないし、アレルギーのように食べてしまったら大変なことになる、ということではないと分かってきました。

ベジタリアンはお肉の味が嫌いなわけでもないし、お肉を食べたら蕁麻疹がでるわけでもありません。食べることはできるけど、個人の思想に則り、お肉を食べないようにしているという人達です。

 

ベジタリアンを自称するかどうか

そうなってくると、ベジタリアンと自称するかどうか、ということも大きなポイントになってきます。最近よく聞くのが、自分をベジタリアンとは呼ばないけど、選べる場合にはお肉を食べない、という人です。あるいはお肉を食べる量を減らすように努力しているとか。

そもそもベジタリアンとは何なのか、と考えると、それは単に名前であって、周りの人に自分が何を食べて食べないのかを、わかりやすく説明するためのタイトルでしかないのだと思います。

私はこれは結婚と事実婚の関係に似ていると思います。結婚をするとこの人は生活を共にするパートナーです、というのがわかりやすくなりますが、欧米では最近一緒に生活し子供を設けても法的な結婚はしないという人が増えているので、内容主義というか、結局自分が毎日何をしているかが問題になります。

同じようにベジタリアンと名乗っていなくても、ベジタリアンと同じ食事をしている人も沢山います。

逆にベジタリアンと名乗ってしまうことで、例えば日本人が抱きやすいイメージ「ベジタリアン=肉を何がなんでも食べない」を期待されてしまう可能性もあります。菜食主義の知識をしっかり持たない人から、肉を食べることが矛盾していると捉えられる可能性もあります。

ベジタリアンと名乗るかどうかで、社会的なメリットとデメリットがあると思います。今では少なくともイギリス社会ではベジタリアンの文化はかなり浸透してきたので、ベジタリアンと名乗ることによるメリットは大きくなっていると思います。

 

ベジタリアンになる様々な理由

ベジタリアンという言葉自体は日本でもかなり浸透してきていると思います。ただ日本人が思うベジタリアンがベジタリアンの理由はほとんどの場合「動物が可愛そうだから」というものだと思います。

実際、動物の命を奪いたくないから、というのはベジタリアンの中で最も多い理由だと思いますが、実は他にも様々な理由でベジタリアンになっている人がいます。多い順にあげましたが、この理由の複数に該当する場合もあると思います。

 

動物の命を奪いたくないら、家畜に反対だから

これがベジタリアンになる理由の中で最も多いものだと思います。育つ中でだんだんとそう思うようになった、という人もいれば、何かトラウマ的出来事があったという人もいます。

よく聞くのは家畜のドキュメンタリー映像を見たという人です。有名なやつがフォアグラの生産の様子のビデオです。気になる人は検索してみてください。鳥を太らせるために無理やりホースで餌を流し込む映像です。他にも動物が押し詰められたケージの映像などを見てショックを受けて家畜文化に反対する意味でベジタリアンになったという人は多いと思います。

私も今まで有名なそういうドキュメンタリーはいくつか見ました。それでもなお私はお肉を食べていますが、確かにそれを見ると、人間社会の肉に対する需要を満たすために何をしても良いのか、という疑問は抱きます。少なくとも知る、ということは意味があるのかなと思いますし、ヨーロッパの社会では知ること、知った上で選択することの価値観が今高まっていると思います。

このような家畜の扱いを考え直すべき、という主義に賛同する人は、ベジタリアンでなくても増え始めていると思います。最近はイギリスでは「フリーレンジ」という言葉が浸透してきていて、これは放し飼いという意味ですが、特に鶏肉や卵のパッケージでよく見かけます。フリーレンジとフリーレンジでないものでは値段が少し違う場合もありますが、それでもせめて放し飼いで人道的に生きた鶏であって欲しい、という意味でそちらを選ぶ人は多いです。

知り合いの農場からとか、生産過程がはっきりしているお肉なら食べるとか、逆に自分で育てたやつだけ食べるという人も中にもいるようです。

あと友人から聞いたものでは、子供の頃にペットに子豚を買っていて、ある日突然おじいちゃんがその豚を殺して料理して食卓に出てきた……というものです、友人はそれ以来肉、特に豚肉は絶対に食べなくなりました。それ系のトラウマは可愛そうですね。

このような主義の場合には肉は本当に努力して避ける人も多いし、ヴィーガンに変わる人もいると思います。

 

健康のため

これは一日三十品目、などといった食事教育をしている日本人からすると、肉や魚を食べなくて本当に健康になるの!?とちょっと思ってしまうパターンですが、健康のためにベジタリアンになったという人も結構います。

でもこれは結構、ヨーロッパの伝統的な食事を見るとそう思うのも無理はないかも…と感じる部分もあります。例えば下の写真はベジタリアン人口の増えているスウェーデンのクリスマスの伝統料理です。

ほぼ全てが動物性の食べ物です。肉、魚介、卵など…。これに少しビートルートのサラダなどもありましたが、それもマヨネーズでたっぷりあえらています。また上の肉料理にもさらにたっぷりのマスタードをかけて食べます。もちろんクリスマス料理なので普段からこれを食べていたわけではないでしょうが…。

暖房器具も発達していなかった時代には冬に沢山の脂肪をつけることは北国スウェーデンでは生き残るために必要だったことなのかもしれませんが、現代の社会でこのような食事を続けていると健康が心配になるのも無理はありません。

とにかくヨーロッパでは伝統料理には肉料理が多いので、暖房器具や衣類の発達した現代で過剰に脂肪をつけることは健康的とは思えませんし、野菜=健康という強いイメージがついているのは多いと思います。

また上の方で書いたように、ベジタリアンが一切肉料理を口にしないとも限らないので、意識をして野菜の摂取量を増やす的な意味でベジタリアンと名乗っている場合もあります。

こちらの主義の場合には、動物の命を奪いたくない、という主義の人に比べると肉を食べることに対する寛容度は高めになると思います。

 

環境のため

これは日本ではなかなか聞くことのないベジタリアンになる理由ですが、ヨーロッパで最近じわじわと増えてきているのが環境保護のためにベジタリアンになる人です。

牛の家畜が増えると、牛の排出するメタンガスが問題になるというのは聞いたことがある人も多いかもしれません。また魚介の養殖のために海が汚染されているというのも聞きます。

それから、このような直接的な環境破壊に繋がるという考えだけでなくて、最近ヨーロッパでは抗生物質の問題がよく話題に上がるようにもなりました。

感染症を防ぐ抗生物質。第一世界大戦頃に発見されてから、人類の死亡率を大きく下げたと言われる私達の命を守っている抗生物質ですが、家畜や養殖のように密集して動物が育てられる場合、感染症は致命傷になってしまうので、餌に抗生物質を混ぜたり、餌と一緒に海に混ぜてしまったりということが避けられないそうです。

それで何が困るかと言うと、抗生物質は過剰に使用すると耐性がつき、必要な時に使えなくなってしまう恐れがあるということ。

日本の農林水産省も家畜の餌に抗生物質を混ぜることのリスクを述べています。

最近イギリスでは病院や街中で抗生物質の社会的使用量を減らしていこう、風邪などで手軽にしようしないように、と訴えるポスターを見かけるよになりました。

家畜を安全に育てるためには抗生物質は欠かせないので、肉の需要が高くなると、回り回って人間に重大な危機を引き起こす可能性があります。

環境問題は簡単に結果が見えることではないので難しいですが、ヨーロッパでは真剣に考えている人が多くて、その一環として肉の需要が過剰に上がることに反対するためベジタリアンになったという人もいます。

このような主義の場合は逆に健康のために少しは肉を食べる、という人もいると思います。

 

経済的理由で

これはこの理由単体でベジタリアンになっている人はかなり少ないと思いますが、他の理由と合せて、ベジタリアンになることのメリットとして捉えている人がいると思います。

上記のような社会的解釈があるので、フリーレンジの家畜の需要が上がっていたりして、イギリスでの肉製品の値段は結構高いです。逆に野菜は日本よりも安いな、と感じるものが多くて、レストランなどに行っても、まずベジタリアンメニューが普通のメニューに比べても安いです。

なのでベジタリアンになるそもそもの理由があった上で、しかも経済的にも助かる、という場合があります。

逆にヴィーガンとなると、特別に生産されたものを食べる・使う(カフェのトイレットペーパーの例のように)ということがあるので経済的に楽になるということはないかもしれませんが……。

 

完璧なベジタリアン

ベジタリアン、特にヴィーガンの場合、正直完璧に動物性のものを避けることは現代社会では不可能です。自分が知らなくてもその生産過程に動物性のものが含まれているということはあります。

また、これはよくベジタリアンやヴィーガンの人が受ける批判ですが「じゃあ○○はどうなの?」という質問です。

ヴィーガンの人は動物性の物を避けるようにしていますが、以前ヴィーガンの友達とご飯を食べている時にベジタリアンでない友達の一人が「じゃあ○○はどうなの?菌は?空気に含まれてる微生物は?」と畳み掛けました。単に実際それを気にするかどうかという質問であれば良いですが、この場合には「あなたは自分の主義を完遂していない、あなたの主義は不可能である」という批判だったと思います。

それに対しヴィーガンの友達は「完璧に動物性のものを避けられないことは分かっているけど、それでも私は自分のベストを尽くしたい」と返しました。私は「自分のベストを尽くしたい」というのは素晴らしい回答だったと思っています。

全ての人が自分の思うベストがあるので、できる範囲でやる、それが菜食主義なんだなと私は今は考えています。

また私がベジタリアンについてあまりよく知らなかった頃、ベジタリアンの考えには否定的だったので、ベジタリアンの友達に「肉も食べないと健康に良くないよ」などと意見していましたが、その人は笑って「でも私はそれでもベジタリアンでいることが幸せなの」と言っていました。

ベジタリアンの文化は広く浸透してきているので、たいていのベジタリアンがプロテイン不足など、健康のリスクを理解していて、そのため大豆食品がとても人気が高くなっていたりしますし、健康のリスクあるいはそれを避けるためにかかる余計な努力を含めても、その人は自分はベジタリアンでいたい、と思っているのです。

もしそれが苦痛になっているなら、やめるだけのことだと思います。菜食主義は誰にも強要されていないので。

 

2、ベジタリアンとヨーロッパの食事の主義について

ここまではベジタリアンがどういうものなのかを中心に書いてきましたが、次はベジタリアンと具体的な社会との関わりや役割についてです。

ヨーロッパの個人食事主義

そもそも、ヨーロッパは様々な国、文化、民族や宗教が入り乱れて生活しています。特にイギリスやドイツなどは世界的にも移民の多い国で、様々な人が一緒に生活をしています。その中では例えば違う国の出身者や違う宗教の人が結婚して暮らすようになったりもします。

そうなってくると、食事にも様々な主義の人がいることになります。例えば宗教で禁止されている食べ物が違うことは日本でも知っている人が多いと思います。それでも一緒に暮らしたいと思った場合には、食事は別々にするしかありません。

同じくベジタリアンの人とそうでない人が一緒に暮らす、特にカップルの場合などでも、そうなると食事はそれぞれ別に用意するというパターンが多いと思います。

日本、あるいはアジア一般では食事を一緒に取るということに大きな社会的な意義があると思います。同じ鍋を囲んで食べるとか、大きなお皿におかずを載せてそれをそれぞれが小皿に取って食べる、という文化があります。

そうなると食事は個人的な選択という部分が弱くなり、出された物は食べる、食事に注文をつけることは良くないという文化が強くなってくると思います。

私はアジアは全体食事主義、欧米は個人食事主義だと思っています。

これは食事に限ったことではないと思います。

アジアでは基本的に集団の和を大切にします。相手を理解し、受け入れ、全体の和を乱さないことを大切としています。逆に欧米では「クリティカルシンキング(批判的思想)」という言葉が大切と言われるくらい、相手の発言を吟味し、それぞれが自分の意見を強く持ち、それによって違う意見が集まって物事を多角的に見ることが良いこと、とされています。

なので、人と違うことは良いこと、自分がこうしたいと強く思い行動することが素晴らしいと考えられています。

なので食事においても自分で何を食べたいか、どうしてそうしたいのかをしっかりと考え主張できることが大切になるのだと思います。

何故それが良いのかを説明できるなら、極端な食事の主義だったとしても真っ向から否定する人はあまりいないと思います。

 

食の多様性の発展

このように様々な食事の主義が共存する社会では、食の多様性が発達してくと思います。

ベジタリアンやヴィーガンの人は、自分たちが食べられるものの中でより美味しく食事ができるように日々研究しています。インターネットでは今ベジタリアン用のレシピのサイトや動画が山のように毎日作られています。

もし私のようなベジタリアンでない人は肉を一切食べないなんて健康的じゃない、と考えたりしますが、逆に肉しか食べないのはそれも健康的でないともちろん思います。結局野菜も食べなくてはいけないので、どうせ食べるなら美味しく食べたいです。

焼肉屋さんが美味しくお肉を食べられるタレを開発するように、ベジタリアンレストランでは当然野菜が美味しく食べられるドレッシングや、調理の仕方、組み合わせなどを日々考えているわけです。

様々な人が様々なものを違う形で研究し、消費していくことは結局全ての人の食事を豊かにしていくことに繋がると思っています。

肉食の研究

アメリカの食品研究会社インポッシブルフードは牛肉そっくりの、植物性の偽造肉を使ったインポッシブルバーガーを開発し話題となりました。話題となったのは、その偽造肉の味や食感があまりにも牛肉のようだったからです。

上記のURLから研究の様子が見れますが、そもそも肉そっくりの、でも肉ではないものを作ろうとしたら、まずは肉のその味を実現しているものは一体なんなのか、という研究から始まると思います。

菜食主義の発展は、肉食そのものの研究も巻き込まれています。

 

その他の食事の主義

ヨーロッパでは菜食主義以外にも今とにかく食事の多様性が重視されているので、食べることへの選択肢は目に見えて増えています。

例えば最近増えているのがグルテンフリー食品です。お腹の弱い人にもメリットがあるということでグルテンフリー食品を試している人も結構います。なのでレストランでも最近ベジタリアンと含めて、グルテンフリーの食品にはグルテンフリーマークがついていたり、あるいは追加料金でパスタをグルテンフリーパスタに変えてくれたりします。他にもグルテンフリーのビールなどの販売も増えてきました。スーパーでもグルテンフリーコーナーをよく見ます。

他にもスーパーへ行くと乳糖フリーの製品をよく見かけます。これは何故日本で流行らないのか謎ですが、日本人よりも牛乳でお腹を壊す人が少ないヨーロッパで、乳糖(ラクトース)フリーの牛乳、バター、ヨーグルト、クリームなどが売っています。私は牛乳でお腹がゴロゴロしやすいので、割高ですが買える時にはラクトースフリーの牛乳を買ったりしています。

普通の牛乳も安く豊富に売っているので、もちろん牛乳で特に問題が起きない人はそちらを買えばいいわけですし、牛乳でお腹を壊さない人にはわからないと思いますが、私はこの選択肢がとても嬉しいです。

 

現代における食の多様性がもたらすメリット

食の多様性が発展していくことは、社会的には様々なメリットがあると思います。

例えばヴィーガンの人は厳しい動物性食品の排除をしたメニューの模索をしているので、これは例えば牛乳アレルギーや卵アレルギーの人でも食べられるメニューになります。

もちろんアレルギーは食事の個人的主義とは違い、食べることで命に関わることもあるので、あるいは食事の主義以上に、使われている食品やその生産過程に気をつける必要がありますが、沢山のアレルギーを持っている人にとっては、より多くの楽しめる食事が増えることは大切だと思います。

また単に食べられる、ということだけではなく満足のいく食事を誰もがしたいのは当たり前です。

これは一つの例に過ぎませんが、菜食主義ということに限らず、様々な人が暮らす現在社会において、色々な人が色々な食事のあり方を模索することは、その分幸せになれる人が増えることに直結すると言っても過言ではないでしょう。

将来的な食の多様性がもたらすメリット

例えば将来人類が宇宙に進出した場合など、植物性の食品のメリットが高まる環境が出てくる可能性はあると思います。長期の宇宙環境の中でも美味しいものが食べたい、その中で肉は衛生上宇宙空間では生産できないとしても、植物性のものから似たものを生産できるようになる可能性があります。でもそれも植物性の食品の関する研究という基礎があった上で行いやすいことではないでしょうか。

また今は現実的でないとしても、将来何かしらの原因で動物性の食品が食べられなくなる、例えば個人的な健康の問題や、あるいは疫病の流行など、ある日突然野菜しか食べられない社会になったとしても、その時美味しいレシピが沢山存在しているとしたらそれは食の多様性のもたらすメリットではないでしょうか。

 

食事を超えた多様性

今回は菜食主義、食事の多様性に焦点を当てた記事ですが、実際にはこの話題は社会全体の全てのことに広げることのできることだと思います。

私がイギリスに長く暮らしていて感じるのは、ヨーロッパは多様性、日本は単一性の文化だということです。

食事だけでなく、ヨーロッパはとにかく多様性を持つこと、個人個人で違う状況を受け入れることを大切としています。

これは前途の書いたとおり、様々な国、文化、民族、宗教などが入り乱れた環境によるものだと思いますが、例えばヨーロッパでは家族のあり方など本当に多様化してきています。

国際結婚はもちろん、同性愛カップル、子供と親のあり方、結婚と離婚の関係、事実婚の社会的受け入れなど家族のあり方もその人が幸せならオッケー、周りの人も受け入れようという空気があります。

私はヨーロッパの現代文化はとにかく個人の主義を尊重する社会だと思っています。その人が幸せなOK、周りはできる限り尊重、応援しようという考えです。例えば犯罪とか、何でもOKというわけではないので、その一つ一つを吟味する手間はありますがでもそれをしようというのがヨーロッパの考えだと思います。そもそもその犯罪だって何故犯罪なのか、ヨーロッパの人なら考えようとすると思います。

個人が自由に考え行動し、それによりさらに様々な考えや文化が発展する。個人が幸せかどうかをとても重視し、ローカルな生活を大切にするヨーロッパの文化の中では、個人が自由に食事を選択できるようにする、それを実現可能にするために食品業界がそれに合せて様々な製品を日々開発することはその主義に沿っていると思います。

つまり、このヨーロッパでの菜食主義の広がりは、単なる食事の流行というだけではなく、食事を超えた、個人の主義や選択、幸せを最重視するヨーロッパの社会を表した変化なのだと思っています。

私はこの菜食主義などの個人的な選択を尊重することは、結局食事以外の面でも全ての人に自由な選択をしやすくすることに繋がると思っています。

もちろんその分個人が負担する責任も大きくなっていきますが、私は個人の選択の尊重は幸せに直結することだと思っているので、正しい情報を手に入れる努力をするのなら、その上で自由に選ぶことができるこのヨーロッパの主義に賛同します。なので菜食主義の人達の選択もより尊重していきたいと思っています。